こんにちは。選択のすゝめです。
海外生活も、だいぶ板についてきたように思います。より正確に表現すれば、どこに居ても海外を感じることがあまりありません。昔よりもアジア人が多い環境にいますし、周りに日本人も沢山います。何より家族が日本人ですし、家の中は日本語ですし、食事も妻の作るものです。当たり前のように過ぎ去る毎日の中で、ふと気になることがあったので記事にしておきます。
海外赴任に際して持っていった方が良い物!などは良く見かけますが、心の準備についてはあまり皆さん触れられていないように思います。特に長期の予定・計画の方には読んで頂きたいです。
海外で生きる=『物理的に』日本から遠くなる
これは現代ならではの話かもしれません。私が以前留学していた当初は、インターナショナルコーリングカードというのを街角やインターネット上で購入し、安価で日本に電話出来る、という時代でした。それより前は、コレクトコールでしたね。その後メッセンジャーなどが台頭し、地球の裏側に居ても日本の家族や友人とリアルタイムに繋がりやすくなりました。今はもっともっとリアルタイムで繋がりやすく、Facetimeだって時差無く行うことが出来ます。
でも。
どんなにテクノロジーが発達しても、物理的な距離は変わっていません。テクノロジーが発達した分、逆に物理的な遠さが際立つかもしれません。オンラインでのやり取りが増えるにつれて、オフラインのやり取りも増えるのですが、距離そのものは変わっていないのです。
地球は1つでも、小さな世界でも、自宅のドアから目的地のドアまで辿りつくのに何時間掛かるのでしょうか?
物理的に遠くなる=疎遠になる=精神的にも遠くなりやすい
一般的には物理的に遠くなると、会う機会が減ります。そして会う機会が減ると、連絡がしずらくなります。お互いに相当つながりたいと思い、そしてそれを行動に移し続けないと連絡の回数が減り、内容が薄くなり、そして精神的に遠く離れていきます。遠距離恋愛が続きにくい理由です。家族や友人であれば、遠く離れても関係は変わりにくいです。キャッチアップも可能です。関係が変わらない、ということは良いことでもあり、悪いことでもあります。冒頭でも話した通り、時間は毎日過ぎ去っていくからです。各々に各々の生活があり、事情があります。諸行無常とはよく言ったものです。
『親の死に目には会えると思うな』
これは私が先輩から言われた言葉です。『あのね、選択のすゝめ君。日本に最後に帰ったのはいつ?頑張って、一年に一回帰ったとしても、親の寿命を考えたらあと何十回しか会えないんだよ。』
『その一時帰国だって、ずっと親と過ごすわけじゃないでしょう。どうせ親の死に目には会えないだろうし、大事にしてあげた方がいいよ。』
こんな言葉でした。
あと数十回しか会えないかもしれない、という数値を使用した表現にはぐっときました。なんだか自分がとても薄情な人間にすら思えてきたり。そして、親の死に目には会えない。これにも考えさせられました。当時NYCにいた私。実家が東京なので、成田まで直行便がありました。それでも、20時間以上掛かるのです。即行動を起こしても。ドアからドアまでは、直行便就航都市間でもそれくらいかかります。
これが日本でも海外でも地方都市なんて場合には所要時間は大幅に増えます。飛行機は待ち時間が長いためです。
仮に親に何かがあって、今すぐ駆けつけたい。そんな時の20時間は長いと思います。たった20時間。されど20時間。もしあなたが今海外に居るのなら、自宅のドアから実家のドアまで何時間掛かるのか一度しっかり確認することをおすすめします。時間は止まってはくれないですから。
私は、海外で会う現地採用の人間には、親を大切にするように伝えています。海外駐在員は就労都市や会社によって頻度は異なりますが、数ヶ月、半年、1年、2年に1回など、会社持ちで一時帰国の機会が与えられます。休みも航空券代ももらえるわけです。
ですが、現地採用にはそれがありません。休みももらえませんし、航空券代ももらえません。日本とのパイプ役は駐在員が担っているため、日本への出張する機会には恵まれにくい環境でもあります。意識して、出費を払ってでも、日本に帰って顔見せするなり、逆に呼び寄せたりということをしなければ、当たり前のように過ぎ去る毎日の中で、お互いに寿命が毎日減っているのを眺めているだけになってしまいます。
久しぶりに見る親が、老けているのを目の当たりにすると、やはり自分がなんだか薄情な人間に思えて来ます。単に時間のせいなのですが。親にしろ、友人にしろ、大切な誰かが、健康な状態でいつまでそこにいてくれるかは誰にも分かりません。会いたい、を会いたいままで終わらせるのではなく、積極的にアクションを起こしましょう。
海外在住だと友人の結婚式すら参加は難しい場合も
では不測の事態ではない、計画的なイベントはどうでしょうか。例えば友人の結婚式。行きたいですよね。大好きな友人の人生に(基本的に)一度の晴れ舞台。これが、海外で生活しているとやはり難しい場合があります。実際にとんぼ帰りしたことのある方も多々いらっしゃると思いますが、その日時ではどうしても難しい場合が、やはりあります。物理的な距離があり過ぎるため、じゃあ2次会から!ということも出来ない場合があります。
じゃあ日程ずらして!というわけにもいきません。大安だとか吉日だとか皆さん基本的には気にするわけです。泣く泣く参加を見送るか、それとも強行参加するか、自分で選ばなければなりません。
私は、実際に強行参加したことがあります。週末なのにどうしても外せない仕事が入ってしまい、どうやりくりしても、身体が2つ無い限り友人の結婚式には参加出来ない状況。私は、二度とは訪れない(であろう)友人の人生の晴れ舞台に馳せ参ずるべく、会社に『どうしてもダメというなら、辞めてでも行く』と伝えて休みを取りました。そして強行参加しました。
結果ですか?
クビです。クビになりました。その一件から着々と準備が進められ、翌月、解雇を突然言い渡されました。今になって思えば、解雇されますよねそりゃ。使いづらい現地採用員だったと思います。航空券代払って、ご祝儀も要らないと言われたけれど奮発して、クビになりました。
ちなみにですが、もしも今後また同じ境遇(大事な友人の結婚式に仕事で行けない)に陥ったとしたら、私は間違いなく仕事を選びます。今は養う家族がいます。友人の晴れ舞台よりもご飯代の方が重要です。すまん。友よ。
何かを選ぶ・選択するということ 選択のすゝめ
世の中の全てのことは、あなたが意識的に・無意識的に選んできた結果です。他の誰の責任でもありません。時にはあなたの責任ですら無いときもあります。万事塞翁が馬です。あなたが何かを選んだとき、そこには選ばなかった何かがあります。何かを選ぶということは、何かを捨てるということです。逆もまた然りで、何かを捨てることは、捨てなかった何かを選ぶということ。人生は選択の連続です。
ただ、あなたが何も選ばずに、ぼーっと生きてきた場合はどうなるでしょうか?現状以外の選択肢が自動的に消えてきただけです。結果論として残ったのが現状です。現状以外、あなたが知らないうちに捨ててきてしまったのです。そこにものすごく大切な何かがあったとしても。
私は、大切な何かを無闇に捨てたくありません。捨てる必要があるのなら、自分で選びたい。世の中、自分の知らないことが殆どです。当たり前だと思っていたことが、当たり前でない場合が殆どです。
そこに、いつも、選択肢は複数必ずあります。選択肢が複数あること、そして自分の良いように選択をすること。これは私が海外に出て気づいたことであり、そして私が名乗る『選択のすゝめ』の由来でもあります。
人生はカスタマイズ出来る。出来ます。していいんです。好きなように。何を選んでも良いんです。それが正解です。思い切って選択していきましょう。
こちらも読まれています
まだ海外で消耗してるの?
アメリカの銀行金利が、ついに日本の2450倍に!!発展途上国の年収以上を稼ぐ
30代で父親になって初めて気づいた、お金・仕事に対する考え方 後悔しないキャリア選択のススメ