社畜の定義、ご存知ですか?経済的自由の無いサラリーマンのこと。

こんにちは。
海外駐在中のサラリーマン、選択のすゝめです。現在進行形の社畜です。

社畜は楽です。何も考えずにいても、餌の時間がやってきます。こんなんじゃいけない!と思っている社畜もいますが、その多くがいずれ思考停止します。考えることを諦め、そのコミュニティの中で威張り始めます。偉い、だとか、長い、だとか。思考停止しないため、或いは思考停止したふりをしながらも、いつかは脱社畜を狙えるよう、ずる賢い社畜からの、お金についてのメッセージです。

本日は、生きとし生けるサラリーマンがお金を殖やすべき・育てるべき理由を紹介します。貯めるだけでは足りないのです。圧倒的に足りません。殖やす必要があります。育てるといった方がイメージに近いです。お金こそが、脱社畜の鍵となります。

家畜が脱走して野生を目指すように、社畜を卒業して、人間に戻ろう

給料が少ないからお金を育てなければならない、という単純な理由ではないんです。給料がもっと増えればいいのに、というのは確かに毎日感じるかもしれませんが、それだけでは投資をする理由にはなりません。端的に表現すれば、サラリーマンがお金を殖やすべき理由は、人間になるためです。私は、人間になりたいんです。

え??

私、人間じゃなかったの??

と思った方もいらっしゃると思います。何言ってるんだろう。。。と感じるのが普通かもしれません。疲れているのかもしれない。。。と思った方もいらっしゃるかもしれません。ですが、社畜という言葉が存在するように、働くポジションとしては、サラリーマンと家畜は非常に近いものがあります。飼われているんですよ。それが、楽しくても、楽しくなくても。なので、どうせなら楽しんじゃおう!という考え方に私は賛成します。

ただし、肉牛だろうが乳牛だろうが、A5ランクだろうが低品質肉だろうが、家畜であることに変わりがないように、ブラックだろうがホワイトだろうが、サラリーマンはサラリーマンに変わりありません。Aクラス企業だろうが零細企業だろうが、サラリーマンであり、社畜であるわけです。経済的自由の無いサラリーマンは、社畜なんです。ここは非常に重要な点です。現状把握は、出発点だからです。

A5ランクの太田原牛も、超絶ブラック零細企業で理不尽な毎日に苛まされている人間も、或いは最低ランクの牛も、Aクラス企業の出世頭も、全員がオーナーに生殺与奪権を握られています。結局は、我々サラリーマンも喰われる存在なのです。

サラリーマンこそがお金を殖やすべき理由は、人間になるためです。過激な言い方をすれば、喰われる側から、喰う側に昇格するために他なりません。優しく言うと、動物園から抜け出すためです。飼われている状態から、野生の自由を取り戻したいんです。どちらが楽しいとかは関係ありません。それは心の持ちようです。やるなら、何でも楽しむのが良いと思います。家畜が脱走して野生を目指すように、社畜も卒業して人間を目指しましょう。

良く言われる『経済的自由』とは、人間になる、野生になる、自由になることを意味しています。生きていくのに、お金は必要ですから。その必要なお金の収入源が、一ヵ所しかなければそれは首輪になってしまいます。言うことを聞かなくてはならなくなってしまいます。オーナーは、社畜が居なければ商売の発展はありません。オーナーの立場から考えれば、社畜たちに見えない首輪を優しく掛けられるかどうかが、事業繁栄の鍵の1つとなっています。

つまり、サラリーマンは、サラリーマンだけをしていては一生お金持ちになれません。サラリーマンには天井があります。それも、頭がぶつかるレベルの天井です。どんなに頑張ろうが、なんだろうが、基本的には給料は大幅には変わりません。

つまり一生首輪を外すことは出来ないのです。サラリーマンの多くは、首輪がついていることにすら気づけて居ません。首輪が付いていることに気づいたサラリーマンたちは、思い思いの方法で首輪を外すのに躍起になっています。そして、数々の成功者を見て、私も人間になりたい!という思いをさらに強くしています。

その点、動物はかわいそうです。最高級の乳牛が、どんなに最高級の乳を出そうが、ミルクは出荷されてしまいますし、一頭の乳牛であることに変わりはありません。牧場のオーナーになることもあり得ません。牧場を複数展開し、牛乳関連ビジネスをまとめあげたりすることはありえないのです。

サラリーマンは、社会的には社畜ですが、生物学的には人間です。どんなに頑張っても、頑張らなくても、休まなくても休んでも、会社に所属していれば、その会社から毎月給料をもらうことが出来ます。とても安定しています。肉として、食べられて人生を終えることもありません。ただし、抜け道を模索しない限りは一生社畜のままです。

サラリーマンの収入の天井を大きく打ち破るには、2通りの方法があります。
その会社で天下を取って収益を最大化するか、或いは資産形成を行い経済的自由を得る、という抜け道があります。会社に勤めながら、個人的に資産形成を行うというのが一番賢いやり方です。そして多くのサラリーマン投資家が誕生しています。

また、会社で天下を取るのには政治力、運、そして年月がかかりますが、海外駐在を実現すればコストパフォーマンスはすぐに最大化できます。そのため、私は海外駐在をしながら投資を行うという状態を維持しています。

サラリーマンは人間ではありません 飼われているんです

話を戻します。よく、サラリーマンを鵜飼の鵜に例える説明があります。鵜飼なんて実際見たことがありませんが、非常に良く出来た例えだと思います。

サラリーマンは、社畜です。鵜飼の鵜です。人間ではありません。飼われています。
鵜が太りすぎぬよう、痩せすぎぬよう、鵜飼は鵜に餌を与えます。太り過ぎてはパフォーマンスが落ちますし、痩せすぎてもパフォーマンスが落ちます。毎日狩りをさせては鵜のパフォーマンスが落ちるため、休みもあげます。鵜飼の中には、ブラック鵜飼もいます。サラリーマンは鵜飼の鵜なんです。

鵜飼は社長のような存在です。
鵜が多ければ多いほど、売れる魚の量が増えます。鵜の餌代以上は全て自分の儲けです。年に2回くらいは豪華な餌を鵜にあげたりする鵜飼もいます。年に1回、旅行に連れて行く場合もあります。

東証とか大証とか、上場している鵜飼はプレミア鵜飼です。
鵜にも人気の就職先となっています。ただし、どの鵜飼のところに属しても、鵜であることには変わりません。外国人の鵜飼は、日本人の鵜に比べて餌を多くくれるそうですが、
パフォーマンスが悪いと、すぐ殺してしまうそうです。逆にパフォーマンスさえ良ければ、一羽の鵜だって、日本人の鵜飼並みに稼げるメリットがあります。最近、外国人の鵜飼は人気ですよね。

外資系でガンガン稼ぐ六本木界隈の鵜より、そこら辺の中小企業のファミリーの方がよっぽどお金を持っていることはご存知でしょうか?社長自身だけでなく、何もしていない奥さんが、年間数千万円の給与があったりすることをご存知でしょうか?所得税を下げるため、家族に収入を分散させているのです。同族企業とはそういうものです。

ヒエラルキーにはまだまだ上があったります。
鵜飼を束ねるオーナーもいたりします。リーダー格の鵜に鵜飼を兼任させ、オーナーはそのリーダー鵜たちに一般の鵜よりも大目の餌を与えます。それ以上は全てオーナーの儲けです。

オーナー、雇われ社長(鵜飼)、サラリーマン(鵜)という絶対的なヒエラルキーがあります。

全てのサラリーマンは、オーナーのために働いているのです。給料という名の生活代をもらっているに過ぎません。どんなに頑張って魚を獲ってきても、他の鵜よりも少し増えるだけ。オーナーより稼げることはありえません。一生ありません。格差は広がるばかりです。

餌代以上は稼げないシステムであるため、サラリーマンで居続ける限りは、儲けることは一生出来ません。これを『金持ち父さん・貧乏父さん』のロバート・キヨサキは『ラット・レース』と表現しました。走っても走っても、それはあくまでもラット同士での競争に過ぎず、それ以上の存在になることは出来ません。

私は、鵜です。ラットです。それを自覚しています。
私の仕える鵜飼はプレミア鵜飼でも外国人鵜飼でもありませんが、零細の鵜飼にしては、比較的沢山餌をくれる良い鵜飼です。このまま一羽の鵜として一生を終えることもあり得るかもしれません。

悲しいことに、鵜の多くが何も考えずに魚を獲りにもぐり、魚を吐き出す毎日を送っています。毎日がその繰り返しで、今年2018年も既に残り4分の1です。月一回の餌日を楽しみにしながら、満員電車に乗ったりしていると、時間はあっという間に過ぎていってしまいます。

行動に移さないと、鵜のまま一生を終えることになります。私は、人間になりたいんです。社畜、社畜界からの卒業をしたいんです。

お金を育てて、私はまたいつか人間になりたい

私は、鵜になる前はオーナー側の人間でした。
そのため、鵜の哀しさ、オーナーの絶対的な強さは小さな頃から感じていました。
鵜は割に合わない。絶対に鵜にだけはなりたくないと。その後、事情があり、人間で居続けることが難しくなり、鵜に成り下がりました。そのような鵜に対しては、都落ちですから、鵜の世界の中での扱いも相当悪かったです。

鵜として生きていく分には、死ぬことはありませんし、有給休暇もあります。家族を養うことも出来ています。ですが、私はいつか人間に戻りたいんです。

社畜界からの卒業をしませんか?

資産運用を通じて、サラリーマンの枠では得られる以上の資産を形成すること。また、投資を通じて企業のオーナーになることで、他人の労働が産み出す利益を享受すること。これが私が資産運用をやめない理由です。

残念ながら、現在の私自身には、起業、ゼロイチの才能や勇気、行動力がありません。いつか、何かをやるかもしれません。それまでは、人間に戻れなくても、ずる賢い鵜でいたいと思っています。皆さんも、まずはずる賢い鵜になってみませんか。社畜卒業レース、共に競争しましょう。

ルールを守らされるのは、いつも持たざる者だけ。特に日本では、持つ者の力が強いだけでなく、弱者を楽しもう的な雰囲気すらあります。持つ者たちは、ルールを最大限活用しています。不平を言ったり、楽しむだけでは能がありません。ルールを最大限に活用して、強さを身に着けましょう。

我々は動物ほど強くはありません。彼らは、野生でも家畜でも、全裸で四つん這いで、雨の日も風の日も地面の食べ物を食べています。対してヒトは無力です。裸では風邪引きます。メンタルもすぐやられます。社畜をやめて人間になる必要を、もっと感じましょう。社畜は楽ですが、楽しんでは、だめです。利用しましょう。