『海外で生きる・働く』のはじめの一歩

こんにちは。アメリカで働く、を実現している選択のすゝめです。本日は、2011年に書いたものをリライトしていきます。「海外で生きる、働く」が、昔よりも随分身近になってきています。昔は、海外というと世界の裏側に行って遠いところというイメージがありましたし、実際そうでした。ところが今は、世界のどこだろうが、何なら真裏だろうが着いた瞬間にネット接続してLINEでもTwitterでも出来る時代です。世界は近い。たまに近過ぎるくらい。時代は変わりました。

『海外で生きる・働く』のはじめの一歩

手紙があり、コレクトコールがあり、インターナショナルコーリングカードがあり、メッセンジャーがあり、Skypeがあり、Facebookがあり、そして今はTwitterがある。いつ、誰とでも繋がることの出来る、そんな時代です。いつのまにか、国境も県境と同じくらい、存在が身近な、言い換えれば、意識しない存在になって来ています。

ところが、国境ってどこかご存知でしょうか?国境なんて誰かが決めただけで、実際は目に見えないもの。改めて国境について考えてみましょう。

国境は単なる境目。本質的には港区と千代田区の境目と同じレベル


日本に限れば、国境はある意味見ることが出来ます。国境を越えるには海を渡る必要があるから。つまり何らかの移動手段を調達する必要があります。この点、外国まで辿り着けるほどの輸送能力を持った乗り物を個人で調達するのは現実的ではありません。ZOZOの元社長なら話は異なりますが、一般的にはなかなかあり得ない話です。

つまり、外国に行くことは、必ず誰かの手を借りなければなりません。それは少し面倒ですし、気軽さに欠けます。ちょっとそこまで、の範囲を超えてきます。パスポートも必要であることが、さらにハードルを高くします。

ただ、世界に目を向けてみれば、現実には、歩いて渡ることの出来る陸続きの国境は山ほどあります晩ご飯の食材を買出しのためだけに、国境を往復する人たちも沢山います。ランチタイムに隣国にランチしに行く人たちも沢山います。パスポートさえも不要な場合があったりします。日本人の場合はスタンプが必要ですが、スタンプ押されるのは飛行機の場合だけだったり。船や徒歩での入国の場合はスタンプが押されなかったりします。中には、気づいたら国境越えてるみたい、なんて場合もあります。全ての国境に壁があるわけではないんです。

国境も、所詮はただの境い目です。テリトリーを示す線に過ぎません。県境や区境、市境、町境と違うのは、基本的にはパスポートが必要だという点。大元の統治者が異なるということ。境を一歩跨ぐとルールが変わります。

区の境で言えば、条例がありますよね。それと同じことですが、自治体のレベルが上位になればなるほど(例:区VS区→都VS県→国VS国)、ルールが変わってきます。

海外では法律が言語が異なる『だけ』

場所によってルールが変わっても、どんな場所でも、老若男女がいて、食欲があり、性欲もあり、排泄欲もあり、同じ人間です。多かれ少なかれ違いはあれど、人間という意味合いにおいては皆さん同じです。

国境というものは日本においては大自然により形成されています。言い換えれば見えない檻です。何か厳かなイメージすら持っていましたが、初めて徒歩で越えてみたときは拍子抜けしました。所詮は人間が作ったものだと気づきました。ただのテリトリーだと。それぞれの自治体にそれぞれのルールがある。ただそれだけの話です。

アメリカからメキシコに初めて徒歩で入ったとき、柵のこちら側では皆スペイン語を話し、メキシコの法律で暮らしており、メキシコペソが流通していて、ノリまで違う。少し柵を越えただけでこんなにも変わるものなのかと、そしてこんなに環境が異なるところに徒歩で来られるのか、と驚いた記憶があります。

つまり、色んなルールや価値観があって、色んな生き方があるということ。私は国境を越え、異なるルールの中で生活することにより学んだことの一つに、そんな単純で当たり前なことがありました。

これはスポーツと同じです。サッカーと野球のルールが異なるのと同じことです。サッカー一筋で生きてきた人間が生まれて初めて野球をやってみたらどうなったか。プレイボール!で周り全員野球やっているのに、そこでいきなり球を蹴りだしたらルール違反になります。ピッチャー放り投げた全力のストレートにヘディングを合わせに行ったら最悪死ぬわけです。

例えるなら、私はそこで感動したわけです。『球、棒で叩いてもいいの?』と。

球、棒で叩いてもいいの?

ああ、もちろんだ

手で触ってもいいの?ハンドにならない?

ああ、もちろんだ。ただし、きちんと手を洗ってからな!HAHAHA!


的なノリなわけです。

野球場でサッカーしてたらルール違反ですしサッカー場で野球するのもまた然りです。ですが、そこでプレーするのは人間です。どちらのスポーツや、そのルールが絶対的に優れている、などということではありません。単に種類が違うということです。両方やったって、いいんです。飽きたら他に行ったっていいんです。徒歩で行けるレベルの物なんです。

知らない世界をどんどん見て、世界の大きさ、そしてそれまでの自分の世界の小ささに気づきましょう。情報過多の時代、同じソースからのインプットばかりで頭でっかちな人が相当増えています。ぜひ、どんどん外に出て行って見聞を広めて頂きたいと思います。

繰り返しますが、ルールが異なるだけで皆同じ人間です。噛んだりしませんよ。そのような意味合いにおいては、世界は小さい、世界は一つ、なんです。

海外で生きる、働くはあなたが思っているよりもずっと簡単

時代は随分とボーダレスになってきました。ハードルが下がりました。今後は人の流れももっともっと加速していきます。もっと自由にもっと便利に、そして何より面白くなるんだろうなと、そう思った昼下がり。2011年に記事を書いて、2020年の今になってもそう感じます。

国境を越えるのも、家の近くの大通りを渡るのも、本来そんなに大きな差はないはず。引越だって、国内と海外だってやることそんなに変わりません。それよりも子供がいるかいないかの方がよっぽど変わります。

次の引越し先は、いつだって自分で決められます。自分の当たり前をどんどん壊して、自分で何でも決めることを心がけましょう。自由と責任は表裏一体。自分の人生に責任を持ち、自由を模索し続けましょう。

人生、もっと面白く生きましょう。人生を戦略的に行きましょう。



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