サラリーマンなら、海外駐在のすゝめ➃

アメリカでいきなりクビになった

人生の効用を最大化するべく、経済学を活かすべきときが来た!

と思いながら日々過ごしていたのも束の間、なんとある日突然、会社をクビになってしまいました。。。朝会社に行ったら、パソコンにログインできず。内線が鳴り、社長室に呼び出されました。そのままそこで解雇を告げられました。

まるで人生ゲームの一コマのような感じ。

マイナス50000ドル!的な。

解雇というものはとても無情で、個人が会社とは一線を画す存在だと改めて気付かされることが多いです。どんな弱小企業でも、一個人とは比較にならないほど存在自体が強いものです。絶対に戦わない方が良い相手です。個人は消耗します。

現地採用員は、使いにくければ『即』切られる存在

自身が海外駐在員となった今は、残念ではありますが、その考え方が確信に変わってしまっています。

駐在員は、『やりたいようにやってみなさい、現地をどうにかしなさい』と言われて日本から派遣されてきます。

現地採用は、というよりもより正確に表現すれば、特に平社員は代わりは幾らでもいるのが現状です。多くの場合、平社員に求められる仕事は難しくありません。期待値が高くありません。

海外駐在員だって、代わりがいれば、いつだって取って代わられる可能性がある雇われに過ぎません。取っているリスクの種類が異なるだけで、雇われは雇われなのです。

とにかく、選択のすゝめはアメリカのニューヨークのある日、朝一でクビになったのです。

海外で離職とは、即刻違法滞在開始の意味

これが、海外で働くことにおける、一にも二にも最大のリスクです。

生活の基盤どころか、根本から引っこ抜かれる可能性を常に孕んでいる。全ての権利(State IDや運転免許証、滞在資格など)がビザに基いています

免許証を取得しても、有効期限はビザやパスポート、I94の期限までです。就労ビザの場合、就労する企業との雇用契約が切れた瞬間に無効となります。つまりその瞬間から違法滞在が始まる。通例は猶予期間があると解釈されることもありますが、規定上では違法滞在です。

違法解雇の場合でも、雇われる側は訴える権利すら危ういです。なんにせよ、一刻も早く出国しなければならないのだから。

この問題は会社にとっても嬉しい話ではない(会社と関係のあった人がオーバーステイなどで法に触れるのは、会社にとっても良い話ではない)ため、自己都合・会社都合のどちらにせよ、会社との関係に問題がない場合は、契約終了日を先延ばしにしてくれることが多いです。その間に身支度整えて、とっとと出てってね、ということです。

会社都合の場合は、ご丁寧に出国チケット費用まで出してくれたりします。会社としては手を尽くしました、という証拠を残すことが大切だからです。解雇された本人のためではありません。

米国では、訴訟リスクを限りなく低くするのが大事です。救急車の後ろに弁護士がついて走る、というジョークがあるくらいです。とにかく手を尽くして訴訟リスクを下げようとします。会社は会社で、自分自身を守ろうとします。

話は戻りますが、
私が会社都合で解雇された際に、私がとろうとした対応は以下です。

  • 同じ「街」で転職
  • 違う「国」で転職

同じ街で転職を試みたのは、引っ越しをしなくて済むから。引っ越しは費用も時間も手間も発生するため、一人暮らしにとっては強制的な引っ越しは出来る限り避けたいことでした。

同じ街に残れない場合は、さらなる海外転職というのが候補でした。

米国内で異なる都市に引越しする場合なら、車を買わなければならないし、郊外に出た場合、NYCと違って転職候補が少なくなり、その後の可能性をより減らすことになると思っていたからでした。

それならば、アメリカ以外の国で、思い切ってチャンスに飛び込むべき良い機会なのではないかと考えていました

選択のすゝめは文系で、専門は特にない法人営業で使えるスキルは日本語と英語のみ。要するにただの労働力です。ビザサポートも必要で、好条件の転職先には恵まれませんでした。

結局、私は同じ街に残ることは出来ませんでした。自身の価値を見誤り、現地採用の最大のリスクを身をもって具現化してしまいました。泣きっ面に蜂。

インドへの転身、本社採用へ

そして私は、インドへ行くことにしました(唐突)。

縁あって、インドのインド企業からオファーをもらいました。面接は全てスカイプでやりました。あっと言う間に決まりました。それが2011年。当時の私の求めていた転職の条件は以下です。

➀英語圏
➁今はひどくても、将来性のある場所
➂本社採用で、ポジション(タイトル)が得られるところ

インドならば、一応英語圏です。

成長も見込める上、その時ならまだパイオニアとしての位置を確保できるのでは、と信じていました。コンセプト自体は間違いではないとも思いますが、色々と苦い経験をすることが出来ました。今さら中国に行っても、使われる側から抜け出すことは出来ないと信じていました。

但し、少しは学習し、インドでは駐在的なポジションを探すことにしました。

インドへの就職は非常に簡単で、希望すれば正直誰でも行けるレベルでした。なるほど誰も行きたがらないというのは本当そうでした。肩書きを手に入れれば、さらにその後の転職もしやすくなる。そんなことを考えていました。

結論から言うと、色々甘過ぎました私。

馬鹿は火傷して初めて熱さに気づきます。まだまだ馬鹿でした。



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