エッセイ:いつかドイツから来たローザ



ローザはコーヒーが飲みたいと思っていた。
コーヒーはずっと昔から好きな飲み物だ。

毎日欠かさず、眠気覚ましのためではなく、純粋にコーヒーを楽しむことのできるタイプの女性だ。

今日はそんな、ローザの話をしたいと思う。

ローザは地球に優しい。

世界一CO2を排出するが、全然ゴミ分別する気も無い国、アメリカというところでアパートメントの管理人をやってきた。

ゴミ捨て場に無造作に投げ捨てられるゴミたちを、嫌な顔を一つもせずに一人で分別する。服が汚れたって構いやしない。
落ちてるゴミだって、拾ってちゃんとゴミ箱まで持っていく。

もちろん細かく分別する。

そんなローザは人間にも優しい。

この荒んだ都会で隣人との距離感は微妙だが、
ローザは気さくにはなしかけてくる。

間違ったゴミの捨て方をすると注意もしてくる。
というかローザが分別してしまう。

そう、嫌な顔一つせずに。

そんなローザ、
実は僕の部屋の真向かいに住んでいる。
先日出くわしてしまった。

何故こんな言い方をするのかというと、
実はローザ、同じ話を何十回もするの。一会話内で。

例えばこんな感じ。
ローザ喋りっぱなしだけど、一応鍵括弧使うね。

『おおミスター。お会いできましたわ。
どうか聞いてくださいよ。私今からコーヒーを飲みに行くんですの。
私はローザ。

ああ、この落ちている目覚まし時計は、なんでか分からないんですけど故障してしまいましたわ。

私は今からこれをどこか、そうですわ、何て言いましたっけ、その、とにかく直していただきに行くんですわ。電池が無いんですの。ほら。

見てくださいよ。電池が無いんですの。私はコーヒーを飲みに行くんです。私はローザ。
おおミスター。お願いごとがあるんです。ミスターは上の階に住んでいる家族をご存知?

彼らはチベットからやってきましたのよ。彼らは夜中の4時にドッターンバッターンって
まるで工事でもしているかのようにうるさいんですのよ。

私はずうっと税金も払ってきて、このアパートで50年間も管理人をやってきて

その後こうしてゆっくりと暮らしているのに、この仕打ちですわ。

私50年間もやってきたんですよ。
ずうっとこの場所で。

おおミスター。彼らはチベットからやってきたんです。夜中の4時にね、ドッターンバッターンって、まるで工事みたいに子供が足踏みをするんです。4歳の子供が。

私はここで50年間も管理人をやってきて、税金もちゃんと払って、なのにこのザマですわ。

私ドイツから来たんです。うるさくって私とてもつらいんです。なので今からコーヒーを飲みに行くんですわ。私はローザ。

あら、そういえば目覚まし時計が壊れていますね。ミスター、お願いごとがあるんです。

どうか彼らに注意してやって下さいませんか?おおミスター、感謝いたします。
私今からコーヒーを飲みに行くんです。私はローザ。

鍵を閉めなきゃ。ああ、このキーホルダーの豚なんですけれども、これ私の孫娘がくれたんですのよ。

おばあちゃん、鍵穴を探すのが大変でしょう。
これで照らせばすぐ見つかるわよって。

これ、どこか押せば鼻の部分が光るんですわよ。
でも、場所が良く分からないんですわ。

ああ!!ここですか!!教えて下すってありがとうございますミスター!!
そう。これで鍵を閉めるんです。

ああ、このキーホルダーなんですけど、孫娘がくれたんですわ。
彼女のお父さんは亡くなってしまったんですけどね、
おばあちゃん、このライトで鍵穴を照らせばすぐに鍵穴が見つかるでしょって
ライトつきのこの豚のキーホルダーをくれたんですよ。でもどうやって点けるんでしたっけ。

ああ!!ここでしたか!!教えて下すってありがとうございますミスター!!

本当に感謝しておりますわ!私はローザ。ドイツから来たんです。50年間ここで管理人やっていたんですのよ。今からコーヒーを飲みにいくんですの。

ミスター。ところでお願い事があるんですの。上の階に住んでいる家族をご存知?



(中略)



私事故に遭って、毎週小切手がこうやって送られてくるんです。ほら、これ。
これをね、今から換金してくるんです。

あ、あんなところにゴミが落ちてる。
私今からあれを拾いますの。私はローザ。今からコーヒーを飲みに行くんですの。
ミスター、本当にありがとうございました。どうかお願いしますよ。
上の階に住んでいる家族の件。

彼らは夜中の4時にドッターンバッターンって
4歳の子供が足踏みしてうるさいんですのよ。私はここで50年間も頑張ってきたのに
この仕打ちですわ。つらくてつらくて。嫌なことばかりです。

私、事故にあったんですよ数年前に。あそこの交差点で車にひかれたんです。
これこれこうで、ああなって。それで毎週小切手が送られてくるんです。

ほら、これ見てください。こうやって送られて来るんです。私ドイツからやってきて
50年もここで管理人をやってきて、今はゆっくりしたいのに大変なことばかり。

あれ、良く見えないわ。光、光。。そうだわこれ孫娘がくれたんですけど、



(中略)




ローザは地球に優しい。律儀な人間だ。

ただすぐ忘れちゃうだけ。歳だから仕方ない。

会社から疲れて帰ってきた僕は、玄関の前で1時間以上もローザに費やしてしまった。
だってローザ、この会話の最初から最後まで、僕の腕掴みっぱなし。

ローザ、挨拶のときと、感謝したとき、僕の腕や手にキスをしてきます。
何回されたかわかりません。

いつかは僕も歳をとれば、あんな感じになってしまうのかもしれません。

とても悲しいです。あの状態で一人暮らしなんて、考えられません。

あらためて、家族に囲まれる幸せというものについて考えずにはいられませんでした。

そういえば僕の祖父もこんな感じでした。
祖父ハウスに当時の彼女を連れて行った際、
祖父は僕にこんな問いかけをして参りました。
その時、やけに僕に対しても丁寧だなあとは思ってはいたのですが。

『そちら妹さんですか?』

僕は男兄弟しかいません。彼にとって、一体僕は誰だったのでしょうか。

まあローザも僕の祖父もこんな感じですかね。

ローザに対して、最後に一瞬カチンときてしまった瞬間がありました。
お恥ずかしい話です。老人に対していらっとしてしまうなんて。

最後の最後に、ローザは改めて101回目くらいの自己紹介してきました。
『(中略)

私はローザ。ミスターは?』

『〇〇 です。』

『え?』

『〇〇 です。』と大きな声で言いました。

『え?』

そうです。ローザ、超耳が遠いんです。
ほとんど聞こえてません。

今まで、会話の最中に私は相槌など一生懸命に打っておりました。

しかしローザ、話すのとまらないなあと思っておりました。

そうです。ローザ、聞こえてなかったんです、ほとんど何にも!

それに気づいたとき、僕がそこで過ごした一時間以上の時間を返して欲しくなりました。

ローザ、上の階のうるささも聞こえないはずなんです。
ローザ。おお、ローザ。。。

ローザは勿論パンツを濡らしておりました。
道理で、尿のにおいがすると思っておりました。

老人の一人暮らしほど悲しいものは無いと思います。
たとえその人がそれまでにどんな人生を送ってきていたとしても。

人間、人生最期の最期に見るものが自分の吐瀉物だったりするわけですからね。
床のほこりとか。ゴミとか。
倒れて死ぬ場合なんかそういうパターンが多いのではないでしょうか。

ローザの、時、はいつの時点で止まっているのだろうか。
彼女は一生懸命管理人として働いていたときのままなのだろう。

僕は出来る限り彼女に優しくしていきたいけれども
やはり少し苛々もしてしまった。

そんな自分が恥ずかしくって嫌悪感さえ湧いてしまいます。
改めて自分の偽善と、利己的な考え方に嫌気が差してしまった夜のお話でした。

自分の親には、僕のこと忘れて欲しくありません。
僕はどうしたらいいんだろう。

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