エッセイ:リ・ハビリテイト



海外たまごです。

今月からエッセイを書くことにしました。自分らしさとは何かを自問し続けた結果、書き物が好きなんだということに中年になってから改めて気づいた次第です。

昔、書き物好きが乗じて小説の執筆に取り組んだことがありますが、物語をフィクションで創るというのが苦手で、筆が全く進まなかった経験があります。

突然脳死状態。しかも今は昔と違っておっさんなので、突然脳死状態オジサン。目も当てられません。良い所が、全然無いじゃない。。。オジサン頑張る!復活してみせませう。ほんの少しだけミドル脂臭をふりまきながら。

グリーに書き溜めていた日記なども、保存のためにEvernoteにクリップした際に読み返してみたところこれはエッセイなのだと思うようになった。書き物をやめてから数年間、生きて生活を整えるのに必死になってしまって、自分らしさはいつの間にかどこかに置き去りになってしまっていた。

おーい、なんて呼べばすぐに取り戻せるものだとばかり思っていたが、どうやらそうではないらしい。感性というものや、自分がどんな口調で書いていたのかすらさっぱり思い出せない。過去の遺物を読み返せるだけでもありがたい。インターネットに感謝である。

読み返すほどに、本当に自分で書いたの・・?とかこんなことあったっけ??なんてことが沢山出てくる。いったいぜんたいどうなっていたのだろうか過去の自分。

暇つぶしのための読み物として評価してくれる友人も数人いて、面白い、もっと読みたいと言われることがすごく嬉しかった。その嬉しさだけで、今まで生きてこられた感じはある。

言い過ぎかもしれないので言い換えると、ご飯何倍も食べれちゃうし、一度思い出せば数日はウキウキしていられる、そんな嬉しさを心に置いておくことができた。ファンが出来る、というのはこういう気持ちなのかと。

そしてそれは本当に心地よかった。書き物は楽しい。楽しかった。いつの間にか書くことが楽しくなくなってしまって、まともで無難なことしかアウトプットしなくなってしまった。

表情は魚のように死んでいた。もちろん死んでいる魚。表情は死んでも魚と違って生臭くはならないので、そこは評価されても良いところだ。と、無理やりポジティブに終わらせてみる。

そういえば原田宗則が好きだった。彼のエッセイが。

自分らしさを取り戻す。リハビリテーション。

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